大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和47年(あ)1396号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を広島高等裁判所に差し戻す。

理由

被告人本人および弁護人藤野稔の各上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり、弁護人鈴木惣三郎の上告趣意は、単なる法令違反の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

しかしながら、所論にかんがみ職権で調査すると、原判決は、以下に述べるとおり、刑訴法四一一条一号により破棄を免れない。

原判決が認定判示した犯罪事実は、「被告人は、昭和三八年一一月一七日ごろ、広島市尾長町字奥の谷弐、九〇一番の七しいぎ商店南側空地において、情を知らない源田平太をして人夫数名を使用させ、同地所在の倉本薫所有にかかるトタン葺平屋建倉庫二棟(一六坪および1.5坪の各一棟)を取り壊させ、もつて他人の建造物を損壊したものである。」というのであり、同判決は、右所為は緊急避難ないし自救行為にあたるとの被告人の主張を斥け、刑法二六〇条前段を適用して被告人を有罪としたのであるが、自救行為の点はしばらくおき、緊急避難の主張についてこれを斥ける理由として判示するところをみると、原判決は、証拠により、大要、「昭和三七年一〇月ごろ、加藤熊次郎は被告人の経営する広島土地造成株式会社から右土地を買い受け、その周囲に金網を張り、加藤所有地なる立札をしたところ、倉本薫が右土地を自己の所有であると主張し、右金網等を撤去し、昭和三八年八月ごろ、右土地に本件トタン葺倉庫二棟を建設したので、被告人は右加藤から善後策を講ずるよう求められ、同年八月から一〇月までの間内容証明郵便をもつて倉本薫や同人から右倉庫の建設を請け負つた服部武に対し再三右倉庫の撤去を要求したが、同人らがこれに応じなかつたため、ついに自らこれを取り壊して撤去しようと決意して本件所為に及んだ」ことが認められるとし、「右認定の事実に徴し、被告人の右損壊行為が刑法三七条一項にいわゆる『自己又ハ他人ノ生命、身体、自由若クハ財産ニ対スル現在ノ危難ヲ避クル為メ巳ムコトヲ得サルニ出テタル行為』に該当するものとはとうてい認め難」いというのである。

ところで、右のごとき判示によつては、被告人の所為のいかなる点がいかなる理由で刑法三七条一項の判示部分に該当しないとされたものであるのかを知ることができないのであるが、その趣旨を忖度するに、判文に照らし、判示倉本の所為が同条項にいう危難にあたらないとしたものというよりは、危難が現在せず、または被告人の所為がやむをえないものでないというもののごとく解せられる。そして、本件緊急避難の主張が、右倉庫建設による本件土地の不法占拠をもつて危難というものであるならば、その建設は既に終了している点において危難の現在性は失われており、また土地の占有妨害排除のためには他に採るべき方法があつて、たやすく実力行使に出た被告人の所為はいまだやむをえないものではないということもできよう。しかしながら、本件において被告人が一審以来主張するところは、判示倉本、服部らの所為は、被告人の経営する分譲地の一角に、名ばかりの「倉庫」を設け、これに暴力団の看板を立てて不穏なふん囲気を醸成し、分譲地の売行きをそこね、既に契約した者のうちにも解約する者を生じ、よつて被告人の会社を倒産の危機に瀕するにいたらしめたもの、すなわち被告人の営業に対する威力業務妨害的行為であつて、被告人は、かかる現在の危難を避けるため、やむなく本件所為に出でたに過ない、というのであり、記録上、この主張にそうがごとき事情も、ある程度うかがわれないではなく、もし、被告人の主張するごとくであるならば、場合によつては、被告人の所為が罪とならず、あるいはその刑を減軽免除すべきこともありうるところである。

してみれば、前記のごとく判示するのみで、たやすく被告人の緊急避難の主張を斥けた原判決には、審理不尽、理由不備の違法があるに帰し、右違法が判決に影響するこというまでもなく、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。

よつて、刑訴法四一一条一号により原判決を破棄し、同法四一三条本文により事件を原裁判所である広島高等裁判所に差し戻すこととして、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(坂本吉勝 田中二郎 下村三郎 関根小郷 天野武一)

被告人の上告趣意

第一、二審判決文十丁裏八行目「倉本薫や同人から右倉庫の建設を請け負つた服部武に対し再三右倉庫の撤去を要求したが」とあるが、これでは只単に服部が請負工事をしたというだけの事に受取れますがこれは只単なる請負工事ではない。

何となれば、表側道路面のパネルの板囲に服部が社長をしている「西日本建設興業KK管理地」という看板をかかげしめたからである。

この管理地という文字は、用いる人により、又場所によつて非常に効果を異にする。

例えば、四、五才の童児が金棒を振つても吾人は何等驚かないが、六尺豊かな親爺が之をもつて飛びかかれば大きなショックを感じるがごとく、本件の管理地なる文字は重要な要素をもつているにかかわらず何故か第二審の裁判官は之をハレ物にさわるように廻避しているのは甚だ遺憾である。

これは、

一、倉本薫(札つきの事件屋)

とこれに繋がる。

二、荒木嘉寿子(二審判決文五丁一〇行目に其名が出ている、又、二審の証人の一人である。四五年五月一八日一ケ年半の刑を受けた女性)(参考二号。)

三、服部武(暴力団共政会々長、中国筋の大立物で仔分六〇〇名を抱擁し、四五年七月一八日一応出獄した(参考一号中国新聞)

右の三名で、デッチあげた陰謀で、他人の土地を威嚇して浸奪せんとした、憲法第二九条に反する闇取引を企てたものである。

然もこの建造物たるや、古い丸太の掘立小屋、古トタン一枚に大小数十の穴のある代物、囲壁はなく只道路面は、古パネルで垣壁を作り、看板丈は新品で長さ約四米、巾一米位が人目をひいていた。

内部には、古障子、古雨戸、手押一輪車、石工用品数点外古建築用材古い金属製ロープ等が雑然と投入してあつて、十六坪一棟、一坪半一棟の建物で建造物としては最低のもので、只為にせんが為の建物、一夜作りの名目丈のものであつた。

第二、そこで此土地の買売人加藤熊次郎は、即日あんな恐ろしい人の看板をあげるような土地は買わぬから金を返せと云うので、これは私の姪にあたる中野春江に買取らせ私の会社が管理する事にした。

ところが、近隣の人々は「あんな危険人物の出入があるようでは、夜の間もろくろく眠れない、一日も早く立退かせ」と矢のごとき催促が電話で頻々と掛るので、(私の宅と此土地とは約四キロもある)

若し、この建物を根城として、先年のような殺傷事が起りはしないかという恐怖心=否これは一触即発の危機であると感じたので、翌朝、高橋建設へ連絡し、社長、並に専務取締役、大工、源田平太氏に現場の立会を求め、評価をして貰い、資材も相手が相手なるが故入念に明細表を源田氏に作らせ、とも角これを解体して大洲町新興金属前の空地へ運搬して、その危急をのがれた次第であります。

その後、解体費、運搬費等の請求をしたが応じないので、明細品中の金属類を源田立会のもとに、誠和商会(業者)に売却してその費用を支払い、残品は速かに引取るよう皆内容証明で通達しておいた。

第三、倉本薫は大和商事KKから権利を譲受けた奥の谷二、九一一の三の土地へ昭和三八年六月当社へは無断で七坪五合の家屋を建築し、自己の名で保存登記をしていたので、当社は同年六月一八日、仮処分禁止命令の法的手続をしたにかかわらず、翌年一月これを解体して新築住宅となし、強制執行の免脱をするような破廉恥漢である。

だから其後、次々に(参考四号)の調査書のとおり、住宅を建てしめ、各々今日まで人を住ませているが、もう仮処分もせず放任している。勿論その住宅の垣、植木等にも手をかけた事はない。(此方は目下民事訴訟続行中)

然し、本件は何しろ相手が、共政会々長服部武という大物丈に、近所の人達や、私のショックも大きかつた。

それ故に、斯様な自救措置をとつた次第で私に非違はない。若し、その責ありとせば、他人の土地を浸奪せんが為に、地主に何等の沙汰もなく建物を立てしめ、事もあろうに暴力団の威をかりて「西日本建設興業KK管理地」という高圧的な手段に出た「倉本」に責任は帰すべきで、之を転化して、私に首題のごとき判決を下すがことき断じて承服できない。

第四、若し、私に建造物損壊という罪を荷せらるるとせば、その事前に、建築届をも出さず、地主には無断で建造物を建て、更に之に管理権をも与えた、倉本を何故罰せられない。(服部のやつた看板は、その後ベニヤ板で見えなくしていたが間もなく剥いでいた)本末顛倒の沙汰である。

第五、若し、これを端的に一般建造物の損壊と同一視して、二審判決の(一二丁一〇行)刑法第四〇〇条但し書による刑罰の適用さるるとせば其判例を楯にとつて、全国百二十余になんなんとする暴力団は、地方の知能犯と通媒して、各地にこれと類似した事件の続発となり、暴力団の資金源を助長し、所謂暴力の追放とはカラ念仏に了つて日本は、永遠に「スエーデン」のような明るい理想的国家は望むべくもないでしよう。

敢えて私が、ここに思いをいたし、一面自己の権益を護るとともに反面健全なる社会建設の一助として之を上告し、貴官の胸に訴え、慎重なる御審議を仰ぐ所以であります。

以上

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